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2014年01月30日 教授

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前回、1期生の選考について述べたが、初めての選考なのでどういう基準で選んでいいかまったく見当がつかなかった。何せ300人ということで、面接どころか、まったく会うこともできなかったので、純粋な書類選考のみだった。趣味があうだろうからということで、アイドルやサブカルなどの流行現象に興味がありそうな学生を中心に選んだ。やはりというか、女子の方が元気が良さそうな子が多かったので、結局、男子10名、女子14名を選んだ。出身高はあえて問わなかったが、ふたを開けてみると、14名の女子のうちの8名が「法女」出身であった。ちなみに、当時の私は、「法女」という付属校があることさえ知らなかった。法女軍団は明るくパワフルであったが、そのおかげで男子がややイジケ気味になってしまったのは予想外であった。なお、ビデオ制作を打ち出したわりには、私が純粋に映像素人だったので、8ミリやってましたみたいな学生は選ばなかったような気がする。まあ、その程度の覚悟だったということで、経験者は、高田くんぐらいだったかな。

2014年01月26日 教授

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本日昼間、22期の北谷拓真くんの結婚披露パーティがありました。22期を中心に21、23期も含め、20人余のゼミ生が集結しました。30周年パーティでは、20期生までしかまわれなかったので、ちょうど、その続きができました。ちなみに、今日でゼミ生の結婚パーティ出席は60回目でしたが、初めての国際結婚で、相手はインドネシア人の大学院生ビリーさんでした。お色直しに、民族衣装で「川の流れのように」を歌って登場したのだけど、プロ級のうまさで驚きました。ともかくも、拓真、おめでとう!ちなみに、こういう時こそ、同期生なりが写真をこのサイトにあげてください。

2014年01月21日 教授

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さて、課題の苦労話の前に、1期生の選考について語ろう。というのも、初めてのゼミ募集で、何をどうしたらいいか誰も教えてくれないので、ビデオ制作をやるというふれこみでゼミ生を募集した。1984年当時、社会学部のゼミは自由応募制で、一人がいくつものゼミに応募できた。現実には、1週間の募集期間にゼミ選抜試験があるので、最大で、5つのゼミを受けられたわけである。当然、受かる人は複数のゼミから内定をもらうわけで、今と比較はできないが、人気ゼミは100人を超える応募者が普通であった。で、稲増ゼミはと言うと、何と、300人の志望者が殺到して、さしずめ、初登場でいきなり1位にランクインみたいな状態となった。初めての募集だし、当時の私は、法政とは縁のない超無名人なわけだから、やはり、周りが勉強中心の真面目なゼミの中に、「ビデオ」という看板が強烈だったみたいで、春の珍事となったわけである。

2014年01月19日 教授

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稲増ゼミでビデオ課題を取り入れたといっても、何せ、市ヶ谷では専用のゼミ室もなく苦労した。機材は、VHSのビデオカメラ1台と、ポータブルのVHSデッキを2台購入した。機材自体はそこそこの価格だったと思うが、カメラがけっこう重く機動性はなかった。何せ、テープが高かった。テープだから編集で何度も重ね録画していくので、劣化の少ない高級テープを使ったが、2時間テープが1本で5000円!秋葉原で買っても4000円であった。編集は教授室を使ったが、市ヶ谷では2人相部屋。相手の先生が来ない日だけしか使えず、時価も限られていた。まあ、遊び半分の気持ちで始めたので、こんな環境でも、みんな嬉々として取り組んでくれた。ニュースはやらなかったが、夏課題とMTV課題はすでに1期生からあった。私もゼミ生も、まったくの手探り状態で課題がスタートした。

2014年01月11日 教授

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さて、1984年4月に、私が正式に法政大学社会学部専任講師となったので、いよいよ稲増ゼミが本格的に始動した。ちなみに、1984年という年は多摩キャンパス元年で、この4月から社会学部は多摩での授業をスタートさせたのであるが、実は、1984年に入学した社会学部生から多摩がホームになったので、2年生以降はまだ市ヶ谷に残っていた。よって、稲増ゼミ1期生は市ヶ谷生だったのである。

初めての純正稲増ゼミを開講するにあたって、本を読んで発表するみたいな座学方式ではなく、もっとアクティブなゼミにしたくて、当初は、私が高校〜大学と多少はかじっていた「演劇」をやろうかと思ったが、あまり社会学部っぽくないということで、やはり「映像」となったわけである。ただ、当時はまだ主流であった8ミリとなると、私はまったく素人だし、今さら感があったので、84年時点としては新しいメディアであった「ビデオ」をやろうとなった。たいして深い見通しはなかったが、この思いつきが、今の稲増ゼミを形作ったのである。

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