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2014年01月07日 教授

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宅八郎のプロフィールには、法政大学社会学部中野ゼミ出身となっているが、私が、兼任講師として『稲増ゼミ」を受け持った翌1984年から法政大学に奉職した時点で、中野先生が復帰されて「(幻の)稲増ゼミ」はそのまま「中野ゼミ」に戻ったからで、彼が社会学部卒業時は中野ゼミ所属であった。

ちなみに、宅八郎と言っても、最近の学生は知らないだろうが、ちょうど宮崎事件が起きた頃に、典型的オタクファッションとキャラで雑誌・テレビなどで活躍していたオタク評論家であるが、前回にも書いたように、学生時代は超オシャレ人間だったから、ファッションについては「職業コスプレ」だったのだろう。学生時代は、いわゆるニューウェーブ文化に詳しく、彼に、原宿にあった伝説のクラブ「ピテカントロプス」に夜な夜な連れていってもらい、メロン、東京ブラボー、沼田元気などのライブを観たことは刺激的体験であった。

2014年01月05日 OBOG

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inazemidayo

稲増ゼミ23期 柳澤です。

本日、OB OGの皆様とゼミ生の皆さんへSNSの招待メールを送信しております。

PCアドレスに送付させて頂いておりますのでご確認、ご登録をよろしくお願い致します。

不明点などございましたら当記事のコメント欄にお書き下さい。返信させて頂きます。

2014年01月04日 教授

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そもそも私と法政大学を結びつけたのは、1970年代以降、マスコミにもガンガン登場し、社会学部の人気教授であった中野収先生の存在である。当時、東京大学社会心理学研究室の助手であった私は、ビビッドに現代文化に切り込む中野先生の研究スタイルに憧れ、勝手に押しかけ教えを乞うていた。その中野先生が国内留学で1年間、講義・ゼミを持たないので、2・3ゼミを代講してくれないかとなり、1983年に「中野ゼミ」の学生を「稲増ゼミ」として引き受け、兼任講師として、生まれて初めてゼミを受け持ったわけである。

3ゼミは卒論だけなので、ほとんどゼミに来ることはなかったが、2ゼミの10数人の学生とは楽しい時間を過ごした。彼らは、すでに中野ゼミで1年間ゼミ活動をやってきたので、やりたいことを好きにさせてあげた気がする。このゼミ生の中に、一人だけ2ゼミから入ってきた男子学生がいた。その意味で、彼は、「稲増ゼミ」という看板のゼミに入ってきたので、「稲増ゼミ生第1号」とも言えるが、彼は、テクノカットで、原宿の先端ファッションを身にまとった「超おしゃれ男子」であり、当時もてはやされた「新人類」を絵に描いたような学生であった。それが後に、テレビなどで「おたくキャラ」全開で活躍した宅八郎であった。

2014年01月01日 教授

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私は1984年4月1日に法政大学に奉職し、稲増ゼミが誕生した。

当時31歳。ばりばりの若手教員であった。だから、今年2014年の4月にジャスト30年となる。

そこで、サイトニューバージョンが開設されたこともあり、稲増ゼミの歴史を振り返り、思い出すことを綴っていくので、特に、関係する期の方々はぜひコメントをください。そこから、また話をふくらませます。

ちなみに、1984年4月から始まった稲増ゼミだが、実は、1983年に「幻の稲増ゼミ」が社会学部に存在した。次回は、その話から入ることにしよう。

2014年01月01日 教授

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9期生の高木圭二郎くん(茨城放送)が制作したラジオ報道特別番組「原子力50年 ある村長の決意」が2013年度文化庁芸術祭賞優秀賞を受賞しました。茨城放送では開局50年目で初の快挙だそうです。彼は、高校を中退して大検で法政に入った苦労人で、東北放送、ハウフルスなどを経て茨城放送でアナウンサーをしていたのですが、制作職に配置転換になり、悩みもしたけど頑張って続けてきました。心よりおめでとう。

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